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「柴又」フーテンの寅さんが愛した故郷

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080720-00000901-san-soci

7月20日9時2分配信産経新聞京成電鉄金町線の柴又駅の改札を出ると、1体の銅像とすれ違う。中折れ帽に格子模様のダブルの背広、腹巻き姿の三枚目。《帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します》威勢の良い口上が聞こえてきそう。映画「男はつらいよ」で俳優、渥美清が演じた“フーテンの寅”こと車寅次郎の銅像だ。「あそこ(帝釈天)は参道がちょっとカーブしているんだよね。かつては参道の入り口に立つと、山門が半分くらいちょっと見えたのね。瓦の屋根がずーっとあって、それが何とも風情があってね。絵になる通りだった」映画監督、山田洋次(76)が江戸川のほとりの門前町に心を奪われたのは四半世紀も前のことだ。戦災を免れた町並みは今でも昭和・大正の面影が色濃く残る。“寅さん”の郷愁に誘われ、観光客が後を絶たない。それでも街は変わりつつある。◇「寅さんは自分を『江戸っ子よぉ』なんてよく言うんだけれど、あれはちょっとうそなんだなあ。ちょっとかっこつけすぎてるんだなあ」山田はまるで隣にいる昔なじみを紹介するかのようにいたずらっぽく語る。彼の感覚では江戸っ子とは、隅田川の両岸の人々を指す。柴又生まれの寅次郎は、半分江戸っ子といったところか。しかし本来の江戸っ子たちの町を押しのけて、寅さんの故郷に柴又が選ばれたのは、他の門前町にはない“生活臭”が参道にたまっていたからだという。他の門前町の商人たちは“通い人”が多かった。朝、店へ行き、夜には家へと帰る。そして静まりかえった参道だけが残される。一方、柴又では1階で商いをし、2階で暮らしていた。夜になっても柴又の参道はこうこうと照る明かりに包まれていた。「ガラス越しに、ごはんを食べている家の家族の姿が見えていたりする。そこに故郷というか、人間のにおいを感じた」。人情劇を描くうえで譲れない条件だった。山田の撮りたかった映画は、大都市の洗練された生活ではない。都会の片隅にひっそりと存在する、ひなびた田舎のぬくもりだった。「僕たちが40年前に撮影したとき、柴又の人たちは上野や銀座に行くのを『東京に行く』って言っていたんだよね。東京のはじっこだし、自分たちも東京だと思っていないんだな。田舎だと思ってる。それがとても面白かったね」◇柴又で江戸時代から続く老舗料理屋「川甚」の女将、天宮美恵子(82)は、撮影の合間に、庭の池のほとりで渥美と交わした会話を思い起こす。「こっちは緊張してしまって全然うまくしゃべれないけれど、渥美さんはそれは話し上手で、うまく会話をリードしてくれるの」。素の渥美は意外と二枚目だったようだ。渥美の思い出を語る彼女の声が女学生のように弾む。昭和22年、20歳の時に静岡から柴又へ嫁入りした。当時から評判の美人で、日傘を差して着物姿で参道を通ると、町の男衆はその美しさに見とれたものだった。団子屋は団子を焦がす。ウナギ屋のかば焼きは焼けすぎる。商店街は大損害だったという。山田がお気に入りの逸話は、マドンナとなって映画の雰囲気にもはっきりと根付いている。◇第1作が封切られたのは昭和44年のこと。山田が率いる撮影隊は、渥美ら俳優陣とともに四半世紀、手を取り合い合計48作もの物語を世に送り出した。しかし、その渥美は平成8年に他界した。今年ははや13回忌になる。映画を象徴するロケ地となった江戸川の土手沿いの通りはかつて、雨が降ると水たまりができたでこぼこだったが、今はコンクリートですっかり塗り固められた。「サイクリングロードの土手なんかはずいぶん撮りにくくなってしまって…」。撮影技法を駆使して、精いっぱい昔と変わらない柴又を演出し続けたが、変わりゆく柴又に失望を禁じ得なかった。“ひなびた田舎の姿”を誰よりも真摯(しんし)に見つめてきた分、失われていく故郷の喪失の傷は深い。「映画のように、裏の印刷工場のおじさんがこんばんはって言って入ってきて、そのへんに腰掛けてお茶飲んだりなんかできる関係は、もはやこの国から消えようとしている」放浪の身ゆえに、故郷のありがたみを誰よりも知っていた寅さん。そのつぶやきが聞こえてきそうだ。《故郷って奴はよ…》文 玉嵜栄次

[引用元:Yahoo[産経新聞]]

寅さんいいですね。
今となってはあの時代も、この映画も1つの奇跡のようにも
思えてしまいます。
昔だから良かったことだけ覚えてるってこともあるだろうけど、
それを差し引いても、まだ良い時代だったんじゃないかな。

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